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科学館と日本天文学会の関係調査結果(2006)

 

日本天文学会100周年記念誌「日本の天文学の百年」分担執筆の際の調査資料。まだ不十分なメモ

科学館通史

1)科博
  わが国の博物館で天文普及が最初に試みられたのは国立科学博物館であろう。そして、これは当学会の協力によって行われた。
  前身の教育博物館は操作型展示を導入していた。科学館活動を行なった最初。

2)電気科学館
  最初に「科学館」を名乗った。

3)戦後

4)1960年代

5)現代

■科学博物館
沿革:
・明治10年(1877年)1月 東京博物館を「教育博物館」と改称(この年を持って創立年としている)(上野公園内西四軒寺跡)  (博物より物理、化学に重点、椎名p。321)
・明治14年(1881年)7月 「東京教育博物館」と改称、明治22年閉館
・明治22年、高等師範学校附属「東京教育博物館」に。湯島の聖堂内に移転。明治23年4月、公開。
  棚橋、明治39年主事に任命
・大正3年、文部省普通学務局「東京教育博物館」に。大正6年、建物整備(聖堂内)。移築開館披露として最初の特別展「大戦と科学展覧会」(以後、年数回開催)
・大正10年(1921年)6月 「東京博物館」と改称。大正13年、棚橋辞職。
・昭和 6年(1931年)2月 「東京科学博物館」と改称。
・昭和3年、上野新館着工。実験公開、理工重視。
・昭和17年、官制改正により自然史重視へ。
・昭和24年(1949年)6月 文部省設置法により「国立科学博物館」設置
・平成13年(2001年)4月 独立行政法人国立科学博物館となる


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天文月報調査
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年月(巻、号)

場所

タイトル

内容

1920.5
13巻5号、p.73

雑報

「時の展覧会」

文部省の主催にて来る5月16日より6月15日まで、お茶の水教育博物館に於て時の展覧会開かるといふ。・・・ ここで時の記念日が決まった。
初めて天文月報に登場

1920.6.
13巻6号、p.79

本文

「生活改善としての「時」展覧会」 有田邦雄

@「生活改善としての「時」展覧会」 有田邦雄
A「「時」展覧会陳列の品々」
東京天文台から出品、台員を説明要員として派遣

1920.6.

雑報

「「時」展覧会陳列の品々」

東京天文台から出品、台員を説明要員として派遣

1920.7
(大正9年、13巻7号)、p.97、 p.105

本文

雑報

「時の記念日」 河合章二郎

「時」展覧会来館者数

@「時の記念日」 河合章二郎
5月に教育博物館にて記念日制定に向けての会議が開催された。棚橋の奮闘も描かれている。
A「時」展覧会来館者数 p.105
5/16-6/15 172,100人
6/16-7/4 46,544人
計 218,644人
B「大阪に於ける「時」展覧会」
・・・、大阪市商品陳列館に於て、

1922.6.

「平和博に於ける20インチ反射望遠鏡」

日本光学工業株式会社にて平和博特設館に出品せることは既報の如くなるが、・・・
(夜間観望も行った)

1923.6
16巻6号

「時の記念日」

今年も6月10日にやった。
東京博物館に於て、・・・表彰式あり、次で時に関する講演会、レコード、活動写真等の催しがあった。
(天文学会としては関与していないが、関係行事を紹介したということらしい)

1924(17巻8号)

「科学知識天文号」

雑誌の特集があること。「天文学普及上甚だ有益なる試みといふべし。」と

1926(19巻6号)

「時の記念日」

各種行事があったことをレポート。棚橋の名が見える。また、天文学会会員3名による時計の誤差についてレポートあり。ここで初めて「天文学会会員」という表現が登場し、会員の関与が明示された。

1927(20巻5号)

「三越に於ける天文展覧会」

学会ではなく、東京天文台の事業か

1928(21巻9号)

「時の宣伝の会生る」

・・・文部大臣、・・・、東京天文台長、・・等知名の士を顧問に挙げて、・・・・

1929(22巻11号)

「写真知識展覧会」

 去る9月11日から1週間、三越に於て行はれた写真展覧会は・・・・
我が東京天文台からは・・・
(天文台の事業であった)

1931(24、12)

京都に於ける日本数物学会及び大阪に於ける日本学術協会大会

大阪で一般向け講演が行われた様子を。

1932(25巻2号)

「東京科学博物館の天体望遠鏡」
(鈴木敬信)

 東京科学博物館では昭和6年秋上野に新装なると共に、事務館屋上に口径20cm(8インチ)の赤道儀を据えつけた。・・・・
同館では既に昨年11月より一般公開して民衆に天体を観せて居る。当分の間は毎週1回土曜の夜で、・・・・
(鈴木敬信)

(26,4)

東京帝室博物館所蔵の天球儀について

鈴木敬信

(27,2)

井上四郎君を悼む

講演に雑誌に通俗天文学を詳述して其の普及に努めたり。

(27?)

春季定会

講演及び陳列は特に東京科学博物館と共同にて催すことに致しました。

(28,3)

新著紹介 東京科学博物館編 江戸時代の科学

神田茂

(28,5)

東京帝室博物館所蔵の天球儀に就て

上田穣

1938(31,10)

7個に新変光星

鈴木、古畑。科博での発見を伝える

飛ぶ。戦中、戦後

1947(40巻、9号)

天文学普及講座

本会主催、東京科学博物館後援、
古畑正秋、水野良平

1954.4.

「天文グループ4、科学博物館に集う」

その他、浜松の会とか、いくつかの地域同好会を紹介する中で、同好会ではないが、科学博物館の活動の一端を紹介。

1954.6.

「火星の大接近を迎えて」(村山)

 科博の名前で初めて科学的な内容で。科学のグレードは落ちるけど。

1955.3.

「丸天井投影式小型プラネタリューム完成」

金子さんの宣伝が初登場。これから3年ほど掲載。五藤さんはまだ望遠鏡だけ

1955.5.

春の学会

流星塵の採集について」

村山が科博の名前で発表

1956.2.

「プラネタリウムの設置計画進む」

 五島プラの予告を

1956.5.

春の学会

公開講演を科博と共催

1956.9.

「火星観測資料展」

 科博での特展を紹介

1956.10.

雑報
月報アルバム

「国立科学博物館に電波望遠鏡を新設」+写真付き (村山)

写真では火星展や観望会のことなども。創立25周年にことよせて。

1957.1.

本文

「創立50年を迎えて」

学会史の中で、
「1946.4. 本会と科博との共催による天文普及講座を以降毎月開催」
と。11年は続いていることになる。

1957.4.

本文
月報アルバム

「五島プラのできるまで」(村山)+写真

 東京天文台や学界との結びつきが強かった。

1957.5.

「1956年の火星観測概要」(佐伯)

上中下と3編。余暇の研究活動。業務ではなかった

1958.4.

「各地の天文教育施設」

静岡児童会館が23cm鏡で開館。金子式小型プラが札幌、豊橋、小倉、博多にできた。

1958.4.

アルバム

 人工衛星観測が各地で行われる。

地方の大学、高校、中学の様子が紹介される。こうした活動が紹介されるのは珍しい。

1958.7.

総会記事

教育活動は公開講演会、天文台の公開が各1回。以降も同レベルに留まる。

1958.8.

アルバム

「札幌市立天文台」「二つの小型プラネタリウム」(岐阜、札幌)

写真ページで紹介

1958.9.

「静岡市の二つの天文施設」

児童会館、県立図書館葵文庫屋上の10m鏡

1958.10.

秋の年会

@仙台の人工衛星の観測について
A金環食報告。加藤愛雄他、仙台市天文台の名前で発表。
B

@2本。小坂さん

A4本。測光観測もあった

 

B上田穣氏が生駒山天文博物館の所属で発表。ハイレベル

1959.5.

春の学会

村山、隕石について、南極氷中の流星塵について

2本発表

1960.6

月報アルバム

科博の隕石展

1961.2

表紙

楽楽園プラ、オープン

1962.5.

春の学会

佐藤明達「南天星図」

学会発表?

1962.11.

本文記事

「モスクワ・プラネタリウム訪問記」(笹尾)

 プラネタリウムという名称が本文に当時したのは初めて

963.2.

月報アルバム

「北京のプラネタリウム」

写真2葉

1963.4

春の年会

村山他「X線マイクロアナライザーによる流星塵の検討」

やっと専門的な検討が行われた

1963.12

本文記事

南天星座早見

教育記事

1964.6.

月報アルバム

仙台市天文台

写真2葉

1964.6

本文記事

佐藤直宣「ヘルクレス座新星のスペクトル」

仙台市天文台所属で。本格的な観測の報告

1964.9.

本文

近年の観測による太陽黒点蝶型図

小山ひさ子。1947年から17年の結果報告

1964.10.

秋の年会

現行星座の欠陥

佐藤。学会発表?

1964.11.

会より

庶務係雑感(松波)

もっと事業をして欲しいという要望が多いが、応じきれない。年少会員への気遣い

1965.1.

月報アルバム

「わが国の望遠鏡の歩み」展

写真4葉。

1965.2.

本文

「現行星座の欠陥」

佐藤。学会発表を掲載。教育の記事、という。個性あふれる文章

1965.4.

本文

百済先生の思い出

神田壱雄(退職後)

1965.5.

本文

天文教材 こんなことが

プラネタリウムに言及。
初めて本格的に天文教育をとりあげた

1965.6.

本文

地学天文教室 高橋朗

五プラの高橋さん

1965.7.

学会だより

渋川春海250年記念事業について

国立科学博物館と共催で渋川春海展を

1965.9.

本文

渋川春海250年にさいして(渡辺)

純粋に渋川を紹介

1965.9.

本文

天文学将来計画

天文学教育はあるが、天文教育はなし。

1965.11

本文

天文教材としての中型プラネタリウム

河原さんが神奈川のセンターの所属で。

1965.11.

本文

月・太陽の運動の教え方の私案

佐藤さん電気科学館で

1966.8.

本文

天文学教育に関するアンケートの集計分析結果の報告

天文研連委員長藤田先生名で。こうした分野で初めてのこと。ただし、大学教育に限られる(ようだ)

1967.8.

本文、アルバム

欧米のプラネタリウム

主要館への訪問記

1968.4

加藤、入会

1969.1.

投稿欄

アマチュアを無視するな

1969.5.

学会発表

ケプラー方程式の図解法

佐藤明達氏の

1969.7.

本文

学会改革答申

会員の所属別対応の必要性を挙げる。社会教育も具体的対象として挙がる。

1970.4.

付録

学会改革

天文教育への貢献を謳う。社会教育は陽には出ていない

1970.7.

本文

教育懇談会のまとめ

年会に続いてやった報告。
どういう位置づけの会であったか、総会資料では不明。

1970.7.

本文

国立科学博物館の20cm赤道儀

小山さんによる紹介。初代主任は鈴木敬信、藤田、古畑、清水一郎、冨田弘一郎などが。

1971.11

本文

プラと私

五プラの小林さん。苦労話

1971.12.

アルバム

村山定男氏にアンリ・レイ賞

国立科学博物館ニュースの紹介

1972.8.

本文

望遠鏡と赤い本

小山さん。

1973.8.

本文

第6回天文教育懇談会報告

名古屋市科学館の事業紹介。地方のプラ館の内容がこれだけ詳細に報告された最初の例

1974.1.

おしらせ

電気科学館天文職員募集

社会教育担当職員公募の最初の広告

1974.2

アルバム

上野科学博物館の60センチ望遠鏡

新設備の紹介記事

1975.1.

本文

天文教育施設めぐり

全国の施設をざっと紹介する12回シリーズ。
初めてのまとまった紹介

1975.1.

本文

第19、20期の太陽黒点活動

小山。27年間の観測データ紹介

1977.10.

本文、アルバム

星とドームと博物館

小山。自己紹介と博物館業務の紹介

1977.11.

本文

五プラ開館20周年祝賀会

小田。学会との結びつきを感じさせる

1978.1.

本文

天文観測施設めぐり

1975年に続く天文系社会教育施設の紹介シリーズ

1978.4.

本文

開館100年科学博物館

1877年の教育博物館を創立とする

1978.12.

本文

五プラ、水野先生の思い出

小林。故人の紹介が主で・・・

1980.5.

年会

片平順一氏、発表

社会教育施設(堺は学校か)職員の本格的な研究