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高精度恒星分光学の展望:惑星を持つ恒星の研究を例に

竹田洋一(国立天文台)

1.天文学における高分散分光学の役割

 

 天体分光学は、望遠鏡で集めた天体からの光(電磁波)を分光器にかけてスペクトル(光のエネルギー分布)に分けて調べることで天体の情報を得る重要な天体物理の分野であるが、天体の撮像に基づく天文学は比較的直観的でわかりやすいのに比較すると、暗号解読的でわかりにくい要素がある。スペクトル(エネルギーの波長に対する分布)は便宜上連続スペクトルと線スペクトルに分類されるが、連続スペクトルの分光学は天体測光学とかなりオーバーラップしており、天体分光学の主役は線スペクトルと言って良い。更にこの線スペクトルは輝線スペクトル(暗い背景に明るく輝く)と吸収線(連続光を背景にして強度レベルが落ちる暗線)に分けられる。前者は星間ガスや活動銀河・恒星周辺のガスなど光学的に薄いガスから放射される性格上非局在的で大きな速度分散を持つ場合が多く、コンパクトな中小分散分光器でも研究できる場合が少なくない。一方後者は密度の高い光学的に厚いガスに特徴的なものであるので観測対象は局在的で秩序だった恒星のような天体をじっくりと詳しく調べる高分散分光の出番であるが、大きな分光器を必要としデータの解析にも専門的知識を要するのでやや敷居が高い側面がある。しかし逆に言えば日本人の伝統である根気と技術を持ってすれば世界に太刀打ちできる分野でもある。他の天文分野とは一線を画して、「スペクトルの微妙な時間変化を捉える」、「スペクトルの輪郭を調べて恒星表面状態やその姿を明らかにする」、「恒星の化学組成の精度を極める」、など非常に微妙な情報を得るためのの測定精度の追求向上が近年の一つの特徴となっているこの学問について、最近ブームとなった系外惑星の天文学に関係した例をいくつか紹介したい。

 

2.高精度恒星分光学の系外惑星研究における実例

 

2.1. 精密視線速度観測と惑星の検出

 1995年ペガスス座51番星の周りの惑星が太陽系外では初めて検出されその後続々と見つかって現在では百個以上にも及ぶ。とりわけ恒星の近くを回る巨大惑星(hot jupiter)の存在という事実は、太陽系からの類推である「大惑星はice coreがもとになって物質降着で徐々に形成されるから星の近くの熱い所では出来ず遠くの所にしかないはず」という思いこみを覆す点で驚きをもたらし、惑星系形成論に大きな課題を与えた。実は系外惑星の研究における恒星分光学の役割は大きい。第一に現在発見されている惑星のほとんどはいわゆるドップラー法(惑星が主星の周りを回ることで生じる主星の動きのゆらぎを視線速度観測で検出して間接的に存在を知る)で見つけられたものである。他に惑星による食をとらえるトランジット法や惑星による重力レンズで背景星の増光を見るマイクロレンズ法などの測光的手法、高精度位置測定によって主星のふらつきによる位置のずれを直接とらえるアストロメトリ法、などがあるが現在の所はまださしたる成果を上げるまでには至っていない。このドップラー法の成果は近年めざましく進展を見せた視線速度変化検出法における精度向上によるものである。恒星の周りの惑星を検出するには毎秒十メートル以下の視線速度精度が必要とされる。これは検出器のピクセルの大きさの百分の一程度であって眼視測定などはとうてい不可能である。視線速度の精度を上げるための重要なポイントは(1)比較スペクトルを星のスペクトルと同条件で撮ってすぐそばで直接比べられる

ようにすること(比較する基準の物さしの導入)、(2)比較スペクトル線が十分密に存在すること(物さしの目盛りが十分細かいこと)である。そのための比較的簡単で代表的な方法としてヨードセル法がある。これは星の光をまずヨウ素ガスを封入したフィルター(ヨードセル)を通してから分光することで無数のヨウ素分子線(比較スペクトル)が星のスペクトルの中に焼き込むのである。このヨウ素線と星の線が入り交じったスペクトルは複雑であるが、計算機でデータ処理することで星の視線速度の情報を引き出すことが出来る。

ここで留意すべきは星の線がシャープで深いほど、また線の数が多いほど、精度が上がるので、高波長分解能と広波長域の分光観測を可能にするエシェル分光器の使用が大きな伏線になっていることである。実際我々国内のグループもこのことを実感した。我々は1998年からヨードセルを試作して岡山観測所188cm鏡のクーデ焦点に取り付け視線速度精密測定の企てを始めた。当初は分解能が3万程度で波長域が数百Åの旧式の分光器を使わざるを得なかったのでなかなか物事が進展しなかった。せいぜい毎秒百メートル程度の精度に甘んじていたのである。しかし2000年に新たに完成したHIDES(HIgh Dispersion Echelle Spectrograph)が状況を大きく変えてくれた。このエシェル分光器は分解能が7万で波長域カバーが1200Åと従来のものに比べて数段優れたものであったのでこれで観測することで一気に毎秒十数メートルまでに精度を上げることが出来たのである。そして更にハード面(試作品に変わる本格的ヨードセルの導入)かつソフト面(本格的解析プログラムの開発)での努力により2002年には毎秒5メートルの精度を達成し、さらに月〜年のタイムスケールでの安定性も確認されたのである。そしてこの成果を踏まえて本格的な惑星探しも岡山観測所を舞台にして開始されている。惑星形成過程を統一的に理解するには太陽型星のみならずより質量の大きい早期型恒星(より高温環境を生みだし、進化タイムスケールはより短い)の惑星の有無を明らかにすることが必要である。しかし早期型星は「スペクトル線の数が少なく自転が大きいために必要な視線速度精度達成は難しい」特有の難点がある。そこで佐藤たち日本のグループは(2〜4Msun)の中質量早期型星が進化した晩期G型巨星に着目して惑星サーべイを行っているというわけである。この企ては2001年から開始して、すでにHD104985という星の周りに日本では初めての惑星発見という成果を上げ、2003年後期からは3年継続のプロジェクトとして三百個のG型巨星の視線速度モニター観測を遂行している。更なる惑星発見の報告が次々と岡山から発信される日も遠くないであろう。それから一言付け加えたいが、この種の惑星検出は職業的天文家が大きな望遠鏡を用いて試みる以外には不可能だと思ってはならない。そのことを実際に示したのが米国のアマチュア視線速度研究グループである。(http://www.spectrashift.com/ を参照。)彼らはなんとミード40cm望遠鏡+小さい分光器(分解能12000、通常のグレーティング分光器)でτBooの視線速度変化の検出に成功したのである。ハンディをものともせず精一杯のことをやって力を出し切った仕事はすがすがしい感銘を与えてくれる。惑星ハンターとして名高いG.Marcy氏が彼らを評する言葉がそれを示している("Awesome detection of the planet around the star Tau Boo! That is truly 'spectracular'!")。

 

2.2  惑星を持つ恒星の組成解析:精度向上への挑戦

 1997年頃、惑星を持つ恒星の数が高々十個足らずだった頃すでに「惑星を持つ恒星は金属量が多い(平均で0.2dex程度)傾向があるらしい」という報告がいち早くなされた。これは多くの恒星分光学者の興味を大いに引きつけ、惑星を持つ星の加速的な増加も相まって、次々と確認のための観測と解析がなされた。そして(例外も少なくないが)一般的にこの傾向は確かに言えることがほぼ確認された。一体この母星の金属過剰を引き起こす原因は何なのだろうか?多く分けて二つの説が提唱されている。一つは「金属量の多いガスからは惑星が出来やすい」というprimordial説である。そしてもう一方は相対的に金属の多い(固体主体ゆえ水素は蒸発して欠乏しているから)の原初微惑星物質が降着して星の外層に混合したせいで星の表面層が金属過剰になったのだとするself-enrichment 説である。前者は理論的な裏付けが無くもないが決定的な証拠を提示するのは難しい。一方後者はある程度観測的に確かめることの出来る予測を与える。つまり「凝集温度の異なる(つまり固体になりにくさの異なる)元素で過剰程度の差異が生じるだろう」、「対流層の薄いの比較的高温の星ほど過剰が多いだろう」、「Li6が検出されればそう遠くない過去の惑星物質混合は確実」などである。前者はIsraelianやSantos達スペイン+スイスのグループが主張し(我々日本のグループも今のところ一応似た見解である)、後者は惑星を持つ恒星の金属過剰傾向を最初に見出した米国Gonzalezが中心になったグループが擁護している。公平に見て最近はやや前者の方が優勢の観があるが、これからどう転んでいくかはわからない。結局self-enrichmentから生じる上に述べたような特徴が観測的に確認されるかどうかということなのであるが、定量的に極めて微妙な議論になるために、普通レベルの組成解析で達成される精度では決定的なことを言うには不十分であることが意見の収束を妨げているきらいがある。恒星の表面組成を求めるには、観測された線スペクトルを計算されたものと比較する(スペクトル線等価幅解析、合成スペクトル解析)ことが原則である。そのために重要なこととしては、観測面ではラインを分離測定するための十分高い波長分解能並びにS/N比、理論面では信頼できるモデリング(大気モデル、線形成理論)と原子データ(遷移確率など)、などが挙げられる。組成といっても絶対組成(当該元素の原子数の水素原子数に対する比)と相対組成(当該の星と基準とする星の絶対組成の差)に分けることができる。絶対組成を分光学的に高精度で求めるのは至難の業であり、これが絡む問題(例えば太陽の表面組成と隕石の組成との比較)などは極めて難しい。一方相対組成は似通った星同士であれば、原理的に十分な高精度を達成できる見込みがある。実際先人達により1950〜60年代に確立されたいわゆる差分成長曲線解析という手法がこの可能性を示している。しかし大気モデルが楽に利用でき、一本のラインからでも組成を求めることが出来る計算機解析の全盛時代となった今、この伝統的な方法の依って立つ基本的精神(@全く物理量の差分のみで問題を定式化する、A多くのラインをもとに大気のパラメータを同時に決める、B十分に似通った星同士のみで解析を行う)が忘れられている傾向があるように思われる。最近このことを感じた私は、伝統的差分解析の正統な精神を引き継ぎ、かつ計算機時代のメリットを生かす折衷的な試みを企てた。詳細は省くが最適化問題の形で条件を満たすような数値的に解を求めるので迅速に結果を求めることが可能である。この手法を最近惑星がらみで興味を持たれている白鳥座16番星(A+B)の実視連星系に適用してみた。この系を構成するA (G1.5V, V=5.96)とB (G2.5V, V=6.20)は両星ともお互いに双子のように似ているG型矮星であるうえに、太陽とも大変似ているsolar twinとして有名である。ところが近年両星の違いが話題になっている。つまりやや暗いBの方に公転周期800日の惑星が発見されたが、Aの方には惑星存在の兆候は未だ見られないのである。また両星のスペクトルは大変よく似ているのだが、リチウム(Li)線強度のみに関してはBは(Aに比べて)明らかに弱い。この差異が惑星の存在と関係しているのかどうかが議論の的になっている。したがって重要なことは一見似たスペクトルを持つ双子のようなAとBの金属量にわずかであっても差があるのかどうかということである。つまり連星系は本質的に同じ組成のガスから生まれている以上、たとえわずかであっても金属量の違いがはっきりと確認されれば後天的な組成変化が起こったということになりself-enrichment説に有利な材料となる。これまで両星の鉄組成の差の有無については半ダース以上の報告があるが、いずれもまちまちで(差の符号でさえ正も負もゼロもあり)で混乱している。とはいえLaws & Gonzalez(2001, ApJ, 553, 405)はこの問題に決着を付けたと信じているらしい。彼らのΔ[Fe/H](A-B) = +0.025 (±0.009)という結果は額面通りに受け取れば確かに従来のものよりも際だって高精度であり、これをもとにself-enrichment(惑星を持たないAの方にBの長周期惑星を作った円盤からの物質が降りつもり、Liの過剰とFeなど金属の微妙な過剰をもたらした)があったのだろうとしている。一方私が岡山観測所で得られたスペクトルをもとにして上述の独自の差分解析手法を適用して得られた結果はどうかというと、Δ[Fe/H](A-B) = -0.007 (誤差は0.005dex程度)であり、A,B両星の間には有意な組成差は実質的に存在しないという結論を得ている。太陽を挟んで解析した結果もΔ[Fe/H](A-Sun) = +0.088、Δ[Fe/H](B-Sun) = +0.099であり、Δ[Fe/H](A-B) = Δ[Fe/H](A-Sun)-Δ[Fe/H](B-Sun)= -0.011となってこれを指示することから私自身は「彼らの結論は尚早で正しくない」という立場であるが、この結果を世に問うのはこれからなので果たしてこの問題はいかに展開するであろうか。

 

3.国内恒星分光グループに対する今後への期待

 

 終わりにあたって最後に一言述べておきます。残念なことに現在国内での恒星分光の研究者の数は年々減少の一路をたどっており、特に将来を担う若手マンパワーの不足は深刻な問題です。このためにグループの発言力も以前ほどではなく、実際HIDES分光器という一流の分光器を備えて現在国内恒星分光研究者の砦となっている岡山188センチ望遠鏡でさえ将来の存続が危ぶまれつつある状況です。この観点からすると天体スペクトル研究会のようなこの研究分野の底辺を支えてくれる組織(研究者、天文教育関係者、同好のアマチュア、学生)の存在意義は極めて大きいものがあります。出来れば各々の活動は単なる趣味のレベルに留まらず、コミュニティのアクティビティを高めるべく学術的成果として公表するまでやっていただきたいです。本稿で紹介したように恒星分光学という分野は決して過去のものではなく、系外惑星の研究など最新の天文学において主体的な役割を果たす学問となりうるものですから、一人でも多くの方々がこの研究分野に寄与し我が国の天体分光学グループ全体を盛り上げてくださることを切に望む次第です。