大阪市立科学館研究報告2, (1992)

都 市 光 下 で の 天 体 観 察 ( U ) 
−オリオン星雲の中心空洞−

加藤 賢一
大阪市立科学館理工課

概 要

 都市光に影響されやすい散光星雲を観察する。選んだ対象はオリオン星雲で、その中心部に楕円状の暗黒構造が見えた。これは中心星トラペジウムの放射と恒星風の影響により作られた高温電離球で、そこでは電子の再結合が起こりにくく、そのため放射量が少なく、暗く見えるものと考えられる。その空洞の明るさはノ−フィルタ−像で周囲の67%、R64フィルタ−像では49%で、電離ポテンシャルの高い元素が極く弱く光っている空洞内成分と、空洞をとりまく球殻が強く放射している成分を考慮すれば観察結果をほぼ説明できる。

1.はじめに
 天体観察には最も悪い環境下にあると思われる大都市において天体観察の工夫を試みる本シリ−ズのTでは都市光の影響をもっとも受けにくい対象である太陽をとりあげ、黒点の黒みを考察した(加藤、1991)。ここでは第2報として、その反対にもっとも都市光に影響されやすい対象である散光星雲を観察する。
 散光星雲や銀河のような表面輝度の低い淡い天体は都会では最も不得手な対象であり、オリオン星雲でさえ小口径の望遠鏡では眼視的にとらえることができない。M13のような球状星団は50cm鏡をもってしても観察経験のない人には見えず、市民天体観望会では参加者の期待を裏切るような対象でしかない。また銀河については50cm鏡と冷却CCDカメラの組み合わせで撮影を試みてきたが、いまだに成功していない。このような天体は強い都市の夜間照明に最も弱い対象である。
 その一方でこのような悪条件をいくらかでも回避しようと努力が続けられている。その工夫の一つは光害カットフィルタ−とよばれる広帯域の干渉フィルタ−を使うことである。都市光の影響の少ない波長域を選ぶことで眼視的にも写真的にもある程度の成功を納めているようである。
 もう一つの工夫は、ここで採用するCCDカメラ等による高速度の撮影法である。星雲などのように対象が淡い場合、光を蓄積して撮影することを考えなければならない。しかし、従来の写真法ではカブリの影響が強く、淡い対象には不向きである。最近天体観察に多用されるようになってきたCCDカメラの場合は感光材質の性質上、強い都市光の上に乗っている微弱な天体の光をかなりの精度で記録することができるのでカブリの影響は相対的に小さくなる。こ

             表1.オリオン星雲M42の諸デ−タ


れは都市光対策上、有効な手段である。
 以下、オリオン星雲中心領域の観察結果を、特にトラペジウム周辺の高電離領域に力点をおいて報告する。
 表1にオリオン星雲M42の基礎的デ−タを掲げておく。

2.観察とその結果−中心空洞
 科学館の口径50cm望遠鏡のカセグレン焦点(f=600cm) に冷却CCDカメラを装着して撮影した。観測機器については、加藤他(1991)を参照願いたい。撮影は1991年2月4日と1992年2月3日に行ない、露出時間はそれぞれ5秒と7秒であった。前者はフィルタ−なし、後者はR64フィルタ−を使用した。撮影結果は写真1と2の通りである。中心の明るい部分がよく見えるよう輝度の高い部分のみ表示させた。参考のために輝度の低い部分まで表示させたのが写真3で、この程度の露出時間で十分よく写っている。またCCDのラチチュ−ドが広いことが写真の比較から分かるだろう。
 写野は6’×4’で、視直径35’のオリオン星雲のごく一部しかとらえることができない。写真中央に明るく大きく写っているのが中心星トラペジウムθ1 の星々である。これらはスペクトル型O8eに分類されており(Allen, 1973)、有効温度は約40,000度である。
 写真1・2から分かるようにトラペジウムを中心とする領域は周辺部よりやや暗く、楕円状の壁に囲まれているように見える。CRT画面で明るさをさまざまに変化させて見るともっと


写真1.ノ−フィルタ−像          写真2.R64フィルタ−像
    1991年2月4日撮影             1992年2月3日撮影


写真3.写真2の低輝度部を強調した           図1.星雲中心部

明確に分かる。視直径は80”×50”ほどで、オリオン星雲の距離では 0.46光年×0.29光年の広がりに相当する。
 この楕円状の暗い部分は何であろうか?暗黒星雲が重なっているのだろうか?もし暗黒星雲ならオリオン星雲に関係あるものか、それとも関係のないものだろうか?あるいはオリオン星雲の中心部に穴があいているか?オリオン星雲には暗黒星雲が複雑に入りくんでいることが観察されており、暗黒星雲の可能性も強いが、その中心がトラペジウムとちょうど重なるというのは確率的に小さいのではなかろうか?となると、穴の可能性が強くなるが、もしここがトラペジウムによって完全電離している領域となっているなら、トラペジウムを中心としていることも穴のように見えることも自然に解釈できる。すなわち、この写真からはトラペジウムを中心とした領域が実際に空洞状になっていることがうかがわれるのである。
 次にこの空洞部がその外側に対してどの程度の明るさとなっているかをCCDの各ピクセルに蓄積された電子数で比較して調べた。これを行なうため観測室内のCCDカメラに付属したパソコンから画像デ−タをワ−クステ−ションにオフラインで転送し、画像解析ソフトIRAFで処理することにした。このデ−タ処理関係についての詳細は渡部・山本(1992)の報告を参照されたい。図2にその結果を図示した(写真2のR64フィルタ−像)。ピクセル番号横220の縦断面のデ−タである。空洞にあたる所の値は2170、その周囲は2720、背景が1640ほどで、結局、空洞:周囲=530:1080、すなわち空洞部は周辺部の49%ほどの光量となっている。写真1のノ−フィルタ−像では67%である。立体構造を考えれば空洞部とわれわれの間には周囲部を構成しているガス塊が横たわっているいるはずであり、49%あるいは67%という光量にはそ


          図 2.写真2の空洞部を通る縦断面の光度分布
のガス塊からの光も入りこんでいると思われる。したがって、この値は上限値と見るべきで、空洞部だけの明るさはもっと低いはずである。

3.中心の完全電離領域
 観察から見出された穴のような中心領域を高温の空洞と解釈するとつじつまがあうことを先に述べたが、もう少し考察を加えてみたい。
 そのそもオリオン星雲全体はトラペジウムの紫外線によって光っている見なされている。紫外線がさまざまな元素(主として水素とヘリウム)を電離させ、その結果原子から自由になった電子が原子と再結合する時に光子を放つと説明されている。1万度ほどの雰囲気の中での電離と再結合が連続して起こっているので星雲全体が光り続けることができる。
 このような電離領域(ストレ
−ムグレン球)のサイズは中心
星から放たれる紫外線量で決ま
ってくる。Osterbrock (1974,
p.22) によればスペクトル型O
6の中心星(温度40000K)の
場合、log Ne・Np・r13 = 5.63
になるという。電子数密度Neと
電離水素数密度Npはcm-3当り、        図3.球殻構造の摸式図
半径r1はpc単位である。このNe
とNpに表1の値600を代入すると半径r1は1.1、すなわち3.6光年となる。オリオン星雲はこの値よりもずっと大きいから、電子数密度には相当むらがあるに違いない。電子密度として 100程度をとれば、観測されているオリオン星雲の直径にほぼ見合う。星雲=ストレ−ムグレン球内は電離度が非常に高く、水素は99%以上が電離状態となって いる。それでも再結合して中性 化する成分があるので星雲全体が光っている。


          図4.球殻構造からの放射。実線は空洞に光源のない場合、
破線は28%で光っている場合。横軸は図3のθ


 写真1・2に見られる中心空洞は外見上からも予想されるとおり、星雲内の極く狭い領域にすぎない。その解釈は2節で記した通りで、少なくとも空洞内では水素は完全電離状態で、再結合の起こる余地がないほどの高温状態にあると思われる。同様のことが他の多くの元素についても起こっていて、結果的に暗く見えるのである。
 そこで球殻状に星雲ガスが分布している場合の強度分布を考える。たとえば図3のように半径2のガス球内に半径1の中心空洞があって、そこからの放射はゼロで、周囲の球殻からだけ一様な強度の光が発せられるとすると、図右の遠方の観察者には図4のような強度分布となって見えることになる。この場合の強度比は1:1.7、約60%である。観察から求めた値と大差がない。半径比には任意性がある上、一様に光っているわけではなく数値的には問題があるが、球殻状態を仮定すれば縁どりがかなり明確に観察されることは図4から推察できる。
 この一様に光る球殻モデルの特徴の一つは、空洞/周囲の明るさの比が波長域によらず一定になることである。それは空洞と球殻の半径だけで幾何学的に決まってしまう。だがわれわれの観察結果(写真1・2)はそれと異なり、空洞の明るさが波長によって違っている。それは空洞自身は光らないという球殻モデルの仮定が破れているためである。空洞は決して真っ暗ではない、ということである。
 ではどのような元素が空洞内で光を発しているのであろか?それは高温空洞内でも電離度の比較的低い元素、すなわち電離ポテンシャルの大きな元素である。そして空洞の壁を境に電離度が大きく変化する元素はそのまわりで光ることになる。Johnson(1968) によれば可視から近赤外域で相当強い輝線を放っている元素は表2のようなものであるという。オリオン星雲全体の話である。水素やヘリウムなどの電離しやすい元素は球殻部で光っていると仮定する。空洞内でも光ることができるのは電離ポテンシャルχ>40eVの元素(表2に○で表示)としてみよう。すると表3のようにその比はほぼ14:48で、28%となる。表3では弱い輝線成分を省略しているが、その大部分は低電離ポテンシャル成分であるから実際はこの比はさらに小さいと思われる。観察された値67%で、ずっと大きい。
 ところで、空洞内外で光る元素が本当にこのように分かれているなら興味深い現象が期待される。それは写真2の赤〜近赤外像である。表3から分かるようにこの波長域で空洞内でも光ると期待されるのは7136Aの ArV だけで、それも3%程度である。すなわち、観察された写真2の50%という明るさの大部分は球殻成分であるということである。こうして球殻成分の寄与だけを分離することができる。
 空洞/周囲の明るさの比が50%になる球殻半径としては半径2=100、半径1=62という組み合わせがある。この場合、空洞内が周辺部の28%の放射能力があるとすると空洞/周囲の明るさの比は50%から61%に大きくなる。これが写真1から期待される空洞部の明るさである。観察から求められたのは67%であった。大変よく合っていると言えるだろう。
 以上から、電離ポテンシャルの高い元素が極く弱く光っている空洞内成分と、空洞をとりまく球殻が強く放射している成分を考慮すれば観察結果をほぼ説明できることが分かった。
 しかし、ここでの議論には多くの仮定がある。40eVという数字は便宜的に設定したもので明確な根拠があるわけではないし、球殻構造や一様に放射していることなどに再考の必要がある。これからの課題であるが、少なくとも電離構造についてはここでの予想が正しいかどうかは単色像を撮影してみれば確かめることができるはずである。表3で○がついていない元素のうち電離ポテンシャルが比較的高いものは空洞内外で電離度が急変していることが考えられる。たとえばNU、OU、SV、ClV、FeVなどである。そこで、たとえばNUのλ6583.7、OUのλλ3726.08、3728.76、SVのλ9531.8などの輝線で撮影すれば空洞がよりはっきり見えると予想される。

4.さいごに
 空洞の物理的実態は高温の高電離領域である。その中ではトラペジウムからの星風が超音速で吹いていると考えられる。O8eというスペクトル型からもその点は十分予想される(たとえば、小暮、1980)。通常、恒星風の速度は1000km/sにも及び、超音速流となって星雲ガスへ侵入していく。星雲ガス中での音速は数10km/sの程度であるから、恒星風は超音速となり、やがて衝撃波面を形成する。一般に衝撃波面を境に温度や密度・圧力などの物理量は大きな違いを見せるが、それに伴って放射のようすも変化することになる。衝撃波面が音速で広がっていったとすると現在の空洞を形成するまでには1万年程度の時間がかかったことになるが、これは推定されているトラペジウムの年齢とも矛盾しない。
 本稿では、都市光をできるだけ避けるよう高速度撮影を行って得たオリオン星雲の2枚の写真をもとに星雲中心部の空洞構造に言及した。

 画像解析ソフトIRAFのインスト−ルその他で大阪教育大学の定金晃三・三分一清隆両氏、国立天文台情報天文学デ−タ解析計算センタ−、天文情報処理研究会、ならびに大阪市立科学館の山本道成・渡部義弥両氏にお世話になった。ご協力・ご支援を感謝したい。

参考文献
加藤賢一・菊岡秀多・川上新吾・黒田武彦:1991,大阪市立科学館研究報告,1,44
小暮智一:1980,恒星の世界,現代天文学講座6,小平桂一編,恒星社,p.237
渡部義弥・山本道成:1992,大阪市立科学館研究報告,2,
理科年表:1992,天文部,国立天文台編,丸善,p.146
Allen, C. W.:1973, Astrophysical Quantities, The Athlone Press, Univerisity
of London, p.260
Lang, K. R.:1978, Astrophysical Formulae, Springer, Berlin, p.121
Johnson, H. M.:1968, in Nebulae and Interstellar Matter, Stars and Stellar
Systems, Vol. Z, ed. B. M. Middlehurst and L. H. Aller, The University
of Chicago Press, p.92
Osterbrock, D. E.:1974, Astrophysics of Gaseous Nebulae, Freeman, San Francisco



 表3.輝線成分。3カラム目はCCDの効率(%),
 4・5カラムは空洞内外から発せられる輝線強度。
 Johnson(1968) を改作
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  λ  相対強度 CCD   内  外  元素
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 3835   11     7    77 H
 3869   20     8   160 160  Ne III
 3889   18   8   144   H+He I
 3968   24   9   216 H+Ne III
 4102   25    13    325 H
 4340   41    17    697 H
 4861  100    27    2700 H
 4959  113    29  3277 3277   O III
 5007  342    30  10260 10260  O III
 5537   16    38   608   Cl III
 5755   16    42    672 N II
 5876   31    43   1333 He
 6312   16    47   752 S III
 6548   18    48    864 N II
 6563  350    48    16800 H
 6584   55    49   2695   N II
 6678   25    49    1225 He
 7065   13    48    624 He
 7136   17    48   816 816  Ar III
 9069   72    18     1296 S III
 9531  181    14   2534   S III
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   合 計      13,697 48,075
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




       表1.オリオン星雲M42の諸デ−タ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 項目           値               著者
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 名称   M42=NGC1976             1
 位置   赤経 05h35m     銀経 209°  1
      赤緯 −5°27’     銀緯 −19°  1
 距離   460pc                   2
      1500光年                  1
      500pc、400pc             3
 視直径  35’=5pc,                 2
      35’                     1
      0.6pc                    4
      60’                     3
 質量   300太陽                   2 
       13                    4
      43、760                  3
 密度   600電子/cm3                2
      1700                    4
      700、740                3
 電子温度 7000K                   4
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 著者: 1:理科年表(1992)  2:Allen(1973)  
     3:Johnson(1968)   4:Lang(1978)



  表2.輝線を放っている元素.χは電離
     ポテンシャル(eV).○は空洞内で
     も光っていると思われるもの
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
No  元素    χ    空洞内  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   1   H I     13.6 
   2   He I    24.6
   7   N II    29.6
   8   O I     13.6
   8   O II    35.1
   8   O III    54.9    ○
  10   Ne III   63.4    ○
  16   S II    23.3
  16   S III    34.8
  17   Cl III   39.6
  18   Ar III   40.7    ○
  26   Fe III   30.7
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


表4.輝線成分。3カラム目はCCDの効率(%)
   Johnson(1968) を改作
-----------------------------------------      
λ  相対強度 CCD   内  外  元素
-----------------------------------------
3770   5     4    H
3798   8     5    H
3820   2     7     He
3835   11     7    H
3869   20     8    160 160  Ne III
3889   18   8     H+He I  
3965   1   9    He
3968   24   9   H+Ne III
4026   3    10    He
4069   1    12    S II
4102   25    13    H
4340   41    17    H
4363    2    17    34 34 O III
4471   5    20    He
4658   1    23    23 Fe III
4713   1    25    He
4861  100    27    H
4922   2    28    He
4959  113    29   3277 3277   O III
5007  342    30  10260 10260  O III
5016   2    30    He
5269   2    35    70 Fe III
5517   7    38   266  Cl III
5537   16    38   608   Cl III
5755   16    42    672 N II
5876   31    43   He
6300   7    47    O I
6312   16    47   752 S III
6364   2    47    O I
6548   18    48    864 N II
6563  350    48    H
6584   55    49   2695   N II
6678   25    49    He
6716   6    49    S II
6730   8    49    S II
7065   13    48    He
7136   17    48   816 816  Ar III
7281   7    47    He
7320   9    47    423 O II
7330   9    47    423 O II
9069   72    18     1296 S III
9229   6    17    H
9531  181    14   2534   S III
----------------------------------------
     14547  25173   ---> 1.73倍