西暦 |
年号 |
できごと |
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1908 |
明治41年 |
10月27日、長姉明子(はるこ)誕生 |
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1913 |
大正2年 |
1月2日、次姉豊子誕生 |
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1915 |
大正4年 |
10月17日、日下清方,つや(旧姓松井)の長男として大阪市旭区新喜多町にて出生 |
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1920 |
大正9年 |
4月、清方、英領カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州テベストン(Teveston, B. C.,
Canada)の漁者団体慈善病院院長として単身赴任。
8月、周一ら家族がカナダへ渡航 |
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1929 |
昭和4年 |
バンクーバー(晩香波,Vancouver)市ストラフコフ小学校(Strascona
public
school) を経て |
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1931 |
昭和6年 |
バンクーバー・テクニカル・ハイスクール Vancouver Technical High School
を卒業。バンクーバー市ブリタニア・ハイスクールBritannia High Schoolへ入学 |
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1932 |
昭和7年 |
父清方帰国 |
1931年、長姉明子、岩田欣一と結婚 |
1933 |
昭和8年 |
ブリタニア・ハイスクールBritannia High
School卒業。バンクーバー市ブリティッシュ・コロンビア大学University of British
Columbiaへ入学。技術および三科学ロイヤル・インスティテューション奨学金授与(翌年まで) |
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1934 |
昭和9年 |
応用科学ロイヤル・インスティテューション奨学金授与(翌年まで) |
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1935 |
昭和10年 |
技術及び科学大学奨学金授与(翌年まで)。物理学クラブ委員及び会計委員(翌年まで) |
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1936 |
昭和11年 |
物理学クラブ会長。大学卒業奨学金授与(翌年まで) |
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1937 |
昭和12年 |
ブリティッシュ・コロンビア大学卒業。総督賞金牌授与。米国マサチューセッツ工科大学MITへ入学し、パラルタ教授の指導を受ける |
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1938 |
昭和13年 |
MITで理学修士号Master of Science 取得。カリフォルニア大学州バークレー校
University
of California, Barkley の博士課程へ進学。J. R. Oppenheimer
の門下生となり、クリスティF. R.
Christyと共同研究。 |
最初の研究論文 On
Periodic Orbits in the Equatorial Plane of a Magnetic Dipole (Graef, C.,
& Kusaka, S., J. Math & Phys. 17, 43)を発表 |
1939 |
昭和14年 |
夏,訪米した湯川とカリフォルニア大学で会う。湯川はソルベー会議の帰途。8月、カリフォルニア大学の助手となる。 |
論文
Galactic Rotation and Intensity of Cosmic Radiation at the Geomagnetic Equator
(Vallarta, M. S., Graef, C., Kusaka, S., Phys.
Rev. 55, 1)
論文
Electric Quadrupole Moment of the Deuteron (Christy, R. F., Kusaka, S.,
Phys. Rev. 55, 665 (Letters)) |
1940 |
昭和15年 |
一時帰国。京都へ湯川を訪ねる。大阪大学の菊池正士は阪大へと要請、仁科は理研へ採用を働きかける |
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1941 |
昭和16年 |
論文 The Interaction of γ-Rays with
Mesotrons (Christy, R. F., Kusaka, S., Phys. Rev. 59, 405) |
論文 Burst Production by Mesotrons
(Christy, R. F., Kusaka, S., Phys. Rev. 59, 414)
論文 β-Decay with Neutrino of Spin
3/2 (Kusaka, S., Phys. Rev. 60, 61) |
1942 |
昭和17年 |
カリフォルニア大学から博士号Ph.D.を受ける。
プリンストン高等研究所 Institute of Advanced Study, Princeton University
へ移り、アインシュタイン Albert Einsteinの指導を受け、パウリ T Pauli と核力理論を研究 |
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1943 |
昭和18年 |
マサチューセッツ州スミス大学Smith
Collegeの物理の講師インストラクタに就任(1945年まで)
論文 On the Theory of a Mixed
Pseudoscalar and a Vector Meson Field (Pauli, W., Kusaka S., Phys. Rev.
63, 400)
論文 The Effect of Radiation
Damping on Burst Production (Kusaka, S., Phys. Rev. 64, 256) |
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1944 |
昭和19年 |
米国メリ−ランド州陸軍科学研究所
Research Laboratory of the Aberdeen Proving Ground in Maryland
にて軍務に従事(1946年まで) |
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1945 |
昭和20年 |
論文 The Energy Spectrum of the
Primary Cosmic Radiation (Kusaka, S., Phys. Rev. 67, 50) |
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1946 |
昭和21年 |
ニューヨーク市ジョンサイモングーゲンハイム奨学金 John Simon Guggenheim Memorial
Foundation を受賞。ニュージャージー州プリンストン大学から招かれるも除隊できず実現せず。
それでも7月1日,プリンストン大学の講師 Instructor に就任 |
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1947 |
昭和22年 |
3月、プリンストン大学で Wigner
のもとで助教授に。
8月31日(日)、同僚とニュージャージー州ビーチヘブンBeach
Havenへ海水浴へ行き、遊泳中溺死。31才。 9月10日、プリンス トン大学教会堂
University Chapel にて大学葬。プリンストン墓地
Princeton Cemetery に埋葬。 9月15日、カナダ・トロント市にて清水小三郎牧師司会にて追悼会。
10月10日、墓碑建立。墓碑銘は、SHUICHI KUSAKA 1915-1947 Faculty of Physics PRINCETON
UNIVERSITY. |
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1948 |
昭和23年 |
2月7日、大阪市住吉区願生寺にて追悼法要。5月、プリンストン大学にて日下奨学金
scholarship 設立 |
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1949 |
昭和24年 |
Cosmic Ray Physics 出版 |
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1950 |
昭和25年 |
小林稔氏、日下が記録・編集したオッペンハイマーの講義録「電気力学」を学術図書出版社より翻訳出版 |
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1960 |
昭和35年 |
来日したJ. R. Oppenheimer 夫妻,日下夫妻を訪ねる
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オッペンハイマー来訪の日 |