吉永・大山資料


吉永剛幸氏および大山幹男氏から提供された資料は以下のとおり。

● プリンストン大学日下奨学金 scholorship設立委員

(吉永剛幸氏資料から転載)

プリンストン大学物理学部長Henry Dewolf Smyth, Dr.
プリンストン大学高等研究所名誉教授Albert instein
プリンストン大学高等研究所所長J. Robert Oppenheimer
プリンストン大学高等研究所名誉教授 Frank ?
スミス大学物理学部長 Gladys Anslow
プリンストン大学物理学教授 Eugene Paul Wiger
プリンストン大学物理学部同期生代表Robert Ray Bush
カナダ トロント市カナダ連合教会 清水小三郎牧師
カナダ バンクーバー市遺族 岩田 欣一Mr. & Mrs. Kin-ichi Iwata, Hotel Roosevelt,
166, Hasting street, Vancouver, B. C.
● 英文毎日 

昭和23年5月7日

日本物理学者が米国に於て表彰せらる。
日下記念基金がプリンストンにて設立せらる。
(UP、米国ニュージャージー州プリンストン、5月6日発)

プリンストン大学総長ハロルドル・ワッド氏は本日、アルバート・アインシュタイン博士及其他数名の著名の米国原子科学者達は昨年八月溺死した日本生れの物理学者にして国際
的に識られてゐる同僚の故日下周一氏を表彰する記念基金が設立せられた。

同大学に於て有望な物理学生に毎年日下記念賞を授与するに就ての賛助委員である?学者は大学院部長J.ロバート・オッペンハイマー博士及プリンストン物理学部長ヘンリ
ー・D.・ジムズ博士等である。

日下氏は日本大阪生れです。同氏は??大学院の教員であり又米国物理学会の会員でありました。

同氏の逝去の時にプリンストン大学物理学部教授に任せられた。

同氏は高度エネルギー原子より生ずる転換に関する研究の権威として広く識られてゐる。
● 吉永剛幸宛てのプリンストン大学からの手紙。

第1回目の日下記念基金受賞者を伝える。

Palmer Physical Laboratory
Princeton University
Princeton New Jersy

June 19, 1950

Mr. T. Yoshinaga
Press, The Mainichi Beppu Branch
1904 Furo-cho
Beppu City, Japan

Dear Mr. Yoshinaga;

     I am writing to you let you know that we haveawarded the first prizes from the Kusaka Memorial Fund at
the Commencement exercises of Princeton University on June 13th.  It appeared best to us this year to award equal
prizes to two students who were being graduated and a lesser prize to a very brilliant young man who has still one more
year to study.  The names of the two seniors are Robert Lee Christensen and Bertram Wolfe.  The junior is David Allen
Hill.  All three of these men are very worthy recipients of the prizes.

Yours very sincerely,

A.  G. Shenstone
Chairman

AGF;mf
● 吉永剛幸宛てのプリンストン大学ウィーグナー教授からの手紙。

日下記念基金についてと日下氏への思いを伝える。


Palmer Physical Laboratory
Princeton University
Princeton New Jersy

May 15, 1950

Mr. J. Yoshinaga
Press the Mainichi
Beppu Branch
Frocho 1904, Beppu City
Kyushu, JAPAN

Dear Mr. Yoshinaga;

     Dr. Tomonaga was so good as to translate for me your letter of April 25th.  I am ver sorry to hear that you had not
yet received at that time the letter of Dr. Shenstone informing you or the developments in connection with the Kusaka fund.  The
reason is probably that the letter was first sent to another person on account of a misunderstanding.  However, if you have not yet
received the second copy of that letter please do let me know at once and we will forward a third copy to you.

     We are reminded of Dr. Kusaka not only by the Kusaka Prize but also by his scientific contributions about which we
speak quite frequently and by the general set of books which he bequeathed to our library.  I myself have occasion to consult
almost every week Tolman's book which heleft to us.  Please be assured, and reassure also Dr. Kusaka's parents, that we hold the
memory of their son dear.

Yours very sincerely,

Eugene P. Wigner

EPW/ws
● 吉永剛幸宛ての朝永振一郎氏からの手紙。

1950年4月2日消印。

記念基金についての吉永氏からの問い合わせへの回答。

S.  Tomonaga
Institute for Advanced Study
Princeton  N. J.  U. S. A.

Mr. T. Yoshinaga
Beppu City
Oita Prefecture
Japan

別府市不老町
一九〇四
毎日新聞別府通信部
吉永剛幸様

いつぞや日下氏のことについておたずねのお手紙をいただきましたが御返事が大変おくれて申訳ありませんでした。これは
全く私の不精のせいでしたが、しばらく前に機会がありましたのでプリンストン大学のヴィグナー教授に貴殿のお手紙の英訳を見せてその件について
おたずねした次第です。そうしたら、はからずも丁度その日に、クサカ賞についての会議をやったということで、返事はもう少しまってほ
しい、すっかり事が決したら、自分の方からそれについて手紙を書くからという話でした。
四、 五日前にヴィグナー氏から、二つ手紙が出来たので、それを日本の方に送りたいから、アドレスを知らせてほしいという通知がきましたので、貴殿
の宛名を知らせておきました。多分すでにお受取のことと存じます。この手紙のうつしを私まだおりませんので、
どういうことに決定したのか私は存じませんが、多分御満足のいく御返事が得られたことと存じます。どうか日下氏の
御両親にもよろしくお伝へ下さい。
右御返事まで              朝永生

 四月一日
吉永剛幸様
● 毎日新聞 

昭和24年(1949年)4月28日付け

アメリカに輝く日下賞
集る基金百万ドル
日下博士の業績称え記念講義も

内容略
● 毎日新聞 

昭和24年(1949年)7月18日付け記事

全米に薫る『日下賞』完結編
三学究に初の授賞
プリンストン大学卒業式
日下教授のノート日本で出版
心の友を語る小林京大教授

内容略

● 毎日新聞 

昭和25年(1950年)4月3日付け記事

若き科学者の死をめぐる二つの佳話
奨学金既に百万ドル
老いた両親に友人の愛の手

内容略

● 読売(?)新聞 

昭和28年(1953年)8月29日付け記事

“極微”に咲いた日米子弟愛
育ての親オッペンハイマー博士
故日下博士の遺業発表へ

内容略
● 読売新聞 

昭和28年9月25日付け記事

恩師と面影偲ぶ
故日下博士(元プリンストン大学助教授)の両親

内容略

● 読売新聞 

昭和31年5月28日付け記事

“第二の息子”も立派に科学者
遺稿論文を完成
?死した日下博士の両親の願い実を結ぶ

内容略

● 高津新聞(高津高校新聞部発行) 

昭和25年9月12日付け記事
日下周一博士伝(上)

米国原子物理学界の花
無口だが成績随一
大阪が生んだ天才人
小学校⇒大学まで“主席で通す”
廿二歳で名誉学位
卓抜なる頭脳
生きて居ればノーベル賞
湯州博士と日下氏

高3H 大山幹夫氏執筆

内容略