加藤賢一データセンター

第2回西はりま天文台ワークショップ「隕石と太陽系小天体」(1992)

宇宙元素組成比における隕石の意義


1.隕石デ−タへの準拠

 天文学が天体の運行を探る学問から、天体そのものの性質を明らかにしていくという新しいスタイル−天体物理学−に本格的に移行したのは今世紀に入ってからで、その最初のターゲットになったのは恒星スペクトルの解釈であった。各種の元素から構成された高温大気と放射が混在し、それらが相互に作用しあっている系を解くという問題である。観測的に得られる光の波長別強度分布からそれを解き、解釈するための努力が今日まで延々と続けられてきた。そして、現在では主要な理論的問題はすでに解決し、定式化も完成したと見なされるようになった。乱暴な言い方をすれば、あとは観測家がそれを応用するという課題が待っているだけである。そこで、恒星スペクトルの解析家たちの関心は天体の各種元素の組成比の比較と解釈に移ってきた。
 元素組成比は恒星スペクトル解析のゴールである。恒星の大気状態、放射場、各種パラメータ等々がすべて決定されてはじめて元素組成比が求まる。しかし組成比が得られたからと言って途中のプロセスの全てに誤りや不備がなかったとは言えない。そこでそうした欠陥がないかどうか、常に点検しなければならない。隕石の組成比はこのような点検のための基準として使われてきた。スペクトル解釈学、すなわち恒星大気論が現在のような形になるまでほぼ70年を要したが、この間の隕石の役割はこのようなチェック機能にあったと言えよう。そして恒星大気論と観測に信頼がおけるようになった現在、隕石の果たす役割は原始太陽系の組成比を示す準拠系へと変わってきた。
 天体の元素組成比を扱う場合、二つの立場がある。一つは個々の天体の差異に注目する方法で、たとえば、ある種の元素だけが多いような恒星に着目し、その原因や起源を探ろうとする立場であり、もう一つは個々の天体の詳細には立ち入らずマクロな視点で組成比を問題にしようとする立場で、たとえば、銀河系内の金属量分布などを説明しようというのがそれである。いずれの場合にも議論の出発点として信頼に足る標準となるような元素組成比が必要である。それはベガなどの一般の恒星だったり、時には太陽だっりするが、最も信頼できる準拠系は隕石データのそれである。ここに宇宙の元素組成比における隕石の今日的重要性があるのである。

2.これまでの流れ

  隕石あるいは惑星の組成比と天体のそれとの研究史を簡単に振り返ってみよう(表1)。
 隕石関係では、Suess(1947) がこの時点で、質量数Aが奇数の場合、A>50では元素量εはAに対しスムーズに変化すること、Aが偶数の場合は、A>90ではisobarの和Σεi がスムーズに変化し、A<90ではI=A−2Zの核種のΣεi がスムーズに変化するといったことを見出している。元素合成史を考える上での主要な材料はこの時点で出揃っていた。

表1.元素組成比の研究史
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  年代  隕石・太陽系        年代     天体
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  1924  Clark, 地殻              1927 Russell, 太陽56元素、最初の本格的解析

  1938  Goldschmidt
       隕石データ 
  1947   Suess                 この頃、成長曲線法完成
        4つの経験則
  1956   Suess & Urey             1957 B2HF,元素合成の理論
      太陽系存在度     
                                                      1960 Goldberg, Muller & Aller, 太陽の42元素

                                 1961 Aller, "The Abundance of the Elements"

  1971 Mason, "Handbook of Ele.   1976 Ross & Aller, 太陽データのまとめ
  Abn. in Meteorites"               この頃、細密解析法完成
   1982 Anders & Ebihara          1984 Grevesse, 太陽データのまとめ
      C1コンドライト                  
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 その頃、天体関係では成長曲線法という恒星大気を一層で近似して元素量を求める方法が完成し、代表的な恒星の解析が行なわれたが、まだ観測・測定技術が未熟で、かつ原子の基礎データが決定的に不足しており、恒星同士の比較はできても隕石のそれと比べるまでには至らなかった。それでも次の述べる種族という重要な概念は確立していた。
 同じようなスペクトル型に見えても恒星には種族の違う2種類があることが1920年代に指摘され、1940年代にはそれが明確となり、1950年代には両者には2桁もの金属量の違いがあることが分かってきた。やがて種族の違いは年齢の相違に関係していることが知られるようになり、恒星の金属量が恒星の年齢と相関があること、すなわち、化学進化があることが分かってきた。
 このような議論の場合、水素、ヘリウム、それに金属という大きな枠組を考慮するだけで十分だったので、個々の元素量を隕石のそれと比較する必要はなかった。しかし、ここで、隕石も含めた天体の組成比は銀河系の進化のなかでとらえていかなければならないことがはっきりとしてきた。そこで、このような視点で元素合成論を体系的に扱った研究が登場した。B2HFと略記される有名な仕事である。1957年の Burbidge, Burbidge, Hoyle, and Folwer の論文は元素合成の主要なメカニズムを明らかに示した点で非常に重要な仕事であり、現在に至るまで決定的な修正は受けていない。この仕事に大きな影響を与えたとされているのが、Suess and Urey (1956) であった。
 Goldberg, Muller, and Aller (1960) は成長曲線法によって太陽の42元素を求めた。これ以後、太陽に関しては成長曲線法による解析は行なわれなくなったという点で、一つの到達点と見なすことができる業績であった。ここで得られた鉄の量をみると logε(Fe)=6.57 であった(logε(H)=12 のスケールで)。隕石より一桁小さな値である。1960年代の終わりには、これは鉄の原子データ(遷移確率)の誤りによるものであることが分かり、太陽鉄は一桁大きくなり、両者の矛盾は解消した。
 すなわち、この時点でこの程度の精度でしか求まらなかったのは分光学上の基礎データが不備だったためで、決して解析法が悪かったからではない。したがって、この時代の隕石の意義は分光学上の基礎データのチェックにあったと言えるであろう。現在では主要元素に関してはこのような心配はいらなくなってきたが、重元素などではまだまだ同様の状態が続いている。
その後、解析法が細密解析法へと代り、解析精度が増し、分光データも改良されていった。Grevesse (1984) がまとめた太陽組成比では隕石との矛盾はほとんど見られなくなり、ようやくここに至って隕石と恒星のデータの比較が、解析法や分光データのチェックだけではなく、組成比の差を問題にするために意味を持つようになった。Grevesse の表では65元素の対応が示されており、そのうちLiとInだけが大きな違いを見せている。Li量は太陽では二桁も少なく、Inは7倍ほど多い。In量はなお解析に問題が残っているが、Liの欠乏は本当のようである。なお、Liの欠乏は太陽だけでなく、かなりの恒星で異常を見せており、普遍的な問題であることが分かっている。

3.元素量に関する話題

 このようにして明らかになってきた元素量に関する話題を思いつくままに並べてみる。
 その後もいくつかの太陽元素について解析されている。手元の資料から1989〜1992年に発表されたデータを図1・2に示した。対数値で0.15,すなわち4割程度の差が問題となっている。エラーバーから分かるように誤差は対数値で0.1ほどである。 本当に隕石との差があるのかどうか、検討の余地がある。
 これが恒星となると太陽程度で解析できるのは一等星くらいに限られる。なかでも最もよく調べられているプロキオン(こいぬ座α星、F5W-X) について太陽と相対比を示した(図3)。なおここには出ていないが、太陽同様にLi,そしてBが欠乏していることが知られている。


図1.太陽の組成比(隕石に相対的)   図2.太陽の組成比(隕石に相対的)
   Booth                  1989-92年の文献からまとめた


    図3.プロキオンの組成比(太陽に相対的). 最もよく調べられた例.
       一般に恒星の組成比を隕石と比べるにはまだ精度不足である

 Li 欠乏は最近の深刻な問題で、各種の恒星に見出されている。元々の組成比に異常があったのではく、進化途上で壊れたか、Liが見えなくなくメカニズムが働いていると見られるが、理由はよく分からない。図4はヒヤデス星団でのLi欠乏で、有効温度6600K前後の星にギャップがある。
 このようなやさしい異常ではなく、元素量にして4桁も違っているというような組成を見せる星もある。A型特異星、金属線星、炭素星、バリウム星等々、いろいろ知られているが、きりがないので止める。
 マクロな分布ではG型矮星の問題がある。G型矮星は古い種族で、一般に鉄は少ないのであるが、すなおに見るとそれでも多過ぎる。銀河系の進化を単純に考えてはいけないことが示唆されている。
 また重元素はSプロセスやRプロセスなど生成過程の異なるものが混在している。それらの分布も種族あるいは年齢ごとに違っている。図5はSプロセス元素Baの量を見たもので、古い種族の metal deficient stars と他の記号で示した新しい星では同一系列に乗るようには見えない。別の進化を示唆する。


図4.ヒヤデス星団の星の Li量.横軸は   図5.種族によるBa量の差.○が種族U、
   有効温度.太陽は×印.隕石は       他は種族T.横軸はFe量(太陽との
    log N = 3.33               比)、縦軸はBa(太陽との比)

 種族Uの古い星たちは太陽に比べて金属量が2桁ほど違うとされているが、それでも個々によるばらつきが大きい。しかし球状星団の星が詳しく調べられるようになったのは70年代に入ってのことで、大望遠鏡が利用できるようになってからである。
 他の銀河ではマゼラン雲の超巨星が分光されている程度で、データ不足である。マゼラン雲の金属量は太陽の1〜2割程度しかないと言われており、個々の星を詳しく見たいのだが、観測的にむずかしい。たとえハワイにすばる望遠鏡ができても他の銀河の恒星分光は望み薄であろう。
 隕石との比較で大事なのは同位体比であるが、太陽・恒星関係では炭素などの例を除いてまだあまり知られていない。分光学的にはむずかしいところもあって今のところ大きな発展は望みがたい。
 Butcher(1987) はTh量から恒星の年齢を決めることができることを示し、それによって銀河系の年齢を120億年と導びき、一時大きな話題となった。しかし、後にこれは解析上のミスだったことが分かった。スペクトル線に他の成分が混入していたのである。分光データの不備が原因であった。重元素の解析にはまだまだ問題が多い。
 このようにまだ種々の課題を抱えながらも情報は蓄積していく。これからもより詳細な隕石のデータが恒星スペクトル解析家を導く糸となっていくことであろう。