1. はじめに
天体スペクトルを材料にして天体の研究・教育を進めようとした場合,観測データを自ら取得し,解析できることができれば理想的であるが,観測手段・解析手段を有しない弱小な研究者・教育者はそうした環境に恵まれない人たちであり,彼らにとっては出版されたスペクトル図は唯一とも言うべき貴重な観測データである.また,専門の研究者にとってもそれはクイックルック用に非常に便利なものである.ここではこれまで出版された恒星スペクトル図のうち筆者の目にとまったものを紹介し,あわせてそれらに基づいてどのような研究が行われたかを述べる.
2.太陽
現在入手可能なものは下記の2点であろう.
1)は,通称ユングフラウヨッホ・アトラスと言い,解像力において定評のあるもので,出版されたものでは最良質のスペクトル図である.ただ,高価であり,現在は入手が困難と思われる.デジタル化されたデータとして欲しいところであるが,正式にはリリースされていない.2)は安価な上にデジタル版3)がフリーで利用できるのはありがたい.解像力は1)にやや劣る.
これらを利用した研究例は枚挙にいとまがないが,一例として金の定量を行った4)を挙げておく.
1) Photometric Atlas of the Solar Spectrum fromλ3000 toλ10000, 1973,
by L. Delbouille, G. Roland, and L. Neven, Institut d'Astrophysique de
l'Universite
de Liege
2) National Solar Observatory Atlas No. 1, Solar Flux Atlas from 296 to 1300nm,
1984,
by R. L. Kurucz, I. Furenlid, J. Brault, and L. Testerman, National Solar
Observatory,
Sunspot, New Mexico 88349, U. S. A.
3) SYNTHE Spectrum Synthesis Programs and Line Data (Kurucz CD-ROM No.18), 1993,
by
R. L. Kurucz (Smithsonian Astrophysical Observatory, Cambridge, MA)
上の2)のデジタルデータ版. Kuruczのホームページからダウンロードできる.
4) Youssef N. H. 1986, A&A 164, 395
3. シリウス
観測データと理論合成スペクトルを重ね,線の同定をしているのが,下記の5)で,今ではKuruczのホームページからダウンロードできる.
5) A sample spectral atlas for Sirius, 1980, by R.L. Kurucz and I. Furenlid,
Smithsonian Astrophys. Obs. Spec. Rep. No. 387, 145 pp.
4.プロキオン
F型の標準星としてよく調べられている.下記6)のアトラスはグリフィン夫妻がウィルソン山天文台の100インチ鏡で撮影した写真乾板から作成したもので,可視域高分散スペクトルの代表例である.20〜30Åごとに印刷されたシートが箱に納められていて,使い勝手もよい.波長範囲が広く,このアトラスに含まれる多くの情報はまだ利用されずに眠っている状態である.正式にはアナウンスされていないが,デジタル版があるようで,著者にリクエストすれば利用できるらしい.
これに基づいた代表的な研究としては7)〜から9)がある.グリフィン・アトラスにより精密なスペクトル線データが得られたため,当時の最新の大気モデル(Kurucz
1979)を用いて解析したところ中性鉄の線から得られた元素量と,1階電離イオン鉄から得られた元素量が合わないという矛盾が見出され,Kurucz
(1979)のATLAS6モデルでもまだ改良の余地があることが明瞭となり,その後のATLAS9,ATLAS12モデルへの発展へつながった.
6) A Photometric Atlas of the Spectrum of Procyon λλ3140-7470 A, 1979, by R.
& R.
Griffin, The Observatory, Madingley Road, Cambridge CB3 0HA, England
7) Kato K. and Sadakane K. 1982, A&A 113, 135
8) Kato K. and Sadakane K. 1986, A&A 167, 111
9) Steffen M. 1985, A&AS 59, 403
IUE衛星による紫外線観測データが図表の形で出版されている.下記10)である.波長範
囲が2030から2371Åと狭いのが難点だが,可視域とは異なった元素の振る舞いが見えるの
は興味深い.
10) Faraggiana R., Castelli F., Morossi C. 1986, ApJS 61, 719
5. アークツルス
プロキオンより晩期型であるアークツルスの可視域のスペクトル・アトラス11)がやはりグリフィンにより作成,出版されている.プロキオン同様の高分散スペクトルである.このアトラスはグリフィン夫妻ならびにドイツのキール大学の研究者により精細に調べられた(下記12,13)が,まだ現在のような精密な大気モデルが出現する前の研究であり,アークツルス・アトラスを再調査する価値があると思う.それは別としてもK型の巨星の高分散スペクトルがこうして手軽に見えるのはありがたい.出版年が古いので現在入手できるか,難しいところである.
10) A Photometric Atlas of the Spectrum of Arcturusλλ3600-8825 A, 1968, by R.
F. Griffin,
Cambridge Philosophical Society, Cambridge, England
11) Mackle R., Griffin, R., Griffin R., Holweger H. 1975, A&AS 19, 303
12) Mackle R., Holweger H., Griffin R., Griffin R. 1975, A&A 38, 239
アークツルスの赤外部のスペクトルが13)のように雑誌に掲載され,またデジタル版が配布されており,利用できる.キットピーク天文台の4メートル鏡で得られたもので,波長範囲は8690〜9300Åである.
13) Wallace L., Hinkle K. H. 1996, ApJS 103, 235
これよりも長波長域を納めたのが14)のアトラスである.
14) Infrared Atlas of the Arcturus Spectrum, 0.9-5.3μm, 1995, by Hinkle K.,
Wallace
L., Livingston W., Astronomical Society of the Pacific, San Francisco
6. その他
電子媒体の発達により,インターネットのWebページでスペクトルを公開するところが出現している.その一例としてフランスのオートプロバンス天文台が公開している211個のスペクトルを紹介しておく(下記15).これはF5からK7までの恒星を対象とし,分解能約42000のエシェル分光器ELODIEにより得られたもので,4400〜6800Åの波長範囲をカバーしている.ただ,最終処理まで行っていないので,使用する場合には少々注意を要する.
15) Soubiran C., Katz D., Cayrel R. 1998, A&AS 133, 221
インターネットのホームページでの公開はどんどん広がっており,これから情報提供の主流になりそうな勢いであるが,その紹介は今回の研究会でも渡部義弥氏が行っているので,これだけに止めておく.
図1.ユングフラウヨッホ・ソーラー・アトラスのタイトルページ.
図2.ユングフラウヨッホ・ソーラー・アトラスの4129Å付近.Eu
II線が超微細構造により非対象形に広がっている.
図3.Kurucz他の太陽スペクトル図のタイトルページ.
図4. Kurucz他の太陽スペクトル図の4129Å付近.
図5.太陽の金について調べた Youssef N. H.(1986, A&A 164,
395)の論文から.
図6.グリフィン夫妻のプロキオンアトラスのタイトルページ.
図7.プロキオンアトラスのサンプルページ.
図8.プロキオンアトラスに基づく研究例1.Kato K. and
Sadakane K. 1982, A&A 113, 135.
図9.プロキオンアトラスに基づく研究例2.Kato K. and
Sadakane K. 1986, A&A 167, 111.
図10.プロキオンアトラスに基づく研究例3.Steffen M. 1985,
A&AS 59, 403.
図11.プロキオンの紫外域スペクトル1.タイトルページ.
図12.プロキオンの紫外域スペクトル2.サンプルページ.
図13.アークツルスアトラスのタイトルページ.
図14.アークツルスアトラスのサンプルページ.
図15.アークツルスアトラスに基づく研究例. Mackle et al.
1975, A&A 38, 239.
図16.オートプロバンス天文台が公開しているスペクトル例.